The Hour of the Star 他人を憐れむ資格なんて私にある?

作家志望の友人の勧めでThe Hour of the Star (1977)を読んだ。

作者のClarice Lispactor (1920-1977)はウクライナ生まれ。ブラジルを本拠地として、外交官の夫とともに世界を飛び回った。

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Clarice Lispector (クラリッセ・リスペクトール)

友人が彼女の作品を推している理由がこの記事を書き始めてやっとわかった。彼はVirginia Woolfのファン。そしてクラリッセは「ブラジルのヴァージニア・ウルフ」と呼ばれているらしい。なるほど。すごい女流作家だということはなんとなくわかる。

 

本を開くとアイルランド人作家コルム・トビーンによる物語の説明があった。ふーん、クラリッセの作品はユニークなんだ。独特な表現の所以は独学で自分のスタイルを獲得したことにあるらしい。で、さらに進めると目次の原案みたいなのが挿入されていた。あ、ポルトガル語だ。あーポルトガル語喋れるようになりたいな。なんでもいいから外国語マスターしたい。これはいつもの雑念。どうやら私は頭の中が忙しいらしく、読書の最中も違うことを考えている人間。あ、今没頭できてる!と思った瞬間にダメになる。生き急いでる哀しい現代人みたい(実際そう)で本当にやだ。まあいいや、気を取り直して本編へ。

 

物語は語り手のロドリーゴによって進められる。でも彼は優秀なMCじゃなくて、主人公の人生を綴っているのに急に書くのをやめたりする。そんなのアリ?!と読者を不安にさせては気まぐれで戻ってくる。ストーリーの書き手なのに私情をいちいち挟んでくる。ちょっと歯が痛いわ…とか、白ワイン飲みながら書いてますねん!とか言ってくる。知るか!

 

さて、主人公はブラジル北東部の貧困地域からリオデジャネイロに出てきたマカベーア。無知で無垢(ロドリーゴは彼女が処女であると何回も教えてくれる。わかったってば)。かなり不幸な生い立ちだけど本人は自分が不幸であることを知らない。知らぬが仏を地で行ってるような少女だ。

この主人公かなりイライラする。

でもそれは私が資本主義社会を生き急いでる現代人だから。

リオに出てきてタイピストとして働いているがクビ寸前。趣味は倹約。しょーもない彼氏ができて有頂天になってる。挙句の果てには友達に横取りされる。

特にこのしょーもな脳筋彼氏、コイツと付き合ってることが一番ムカついた。自分は強くて偉いと思ってる、いわゆるパワハラ予備軍の男。彼女に平気で「お前はスープに入ってる髪の毛みたいだ」とか言う。普通そんなこと言う?!でもマカベーアには全然刺さってない。同僚に彼氏取られてもイマイチピンときてない。「不幸」が何かを知らないから。

私はこの一連の流れにすごく苛立ちを覚えた。おいマカベーア言い返せよ、てか別れろよ、男取られてんなよ、なんなんだよ…。でもロドリーゴが彼女を見守っていきたいなら仕方ねえな…ほらさっさと先に進むぜ…。

 

そんなこんなで読み進めて気づいたら終わってた。ロドリーゴが書くの疲れたわ、つって中断して再開(ふざけるな)したあと一気に終わる。ちなみに終わり方があっけない。すごく悲しいんだけど、あっけない。中世のお話みたいな感じかな?シェイクスピアの悲劇みたいな?

 

ネタバレを言うとマカベーアは最後まで不幸なままだった。正確に言うと、この「不幸」は哀しき現代人こと私の物差しによる定義。でも、

本当に可哀そうなのはマカベーア?それとも私?

不幸の概念を知らないマカベーアか?不幸に気づいてどうにかしろよって怒ってる私か?人生の粗さがしをしてはもっと幸せになりたいとほざいてる私か?!

 

今考えてみるとロドリーゴは小説家としてのクラリッセを、マカベーアはブラジル北東部出身の女性としてのクラリッセを体現していたのだろう。本を買うときに読んだあらすじにはブラジルの貧困、その闇を映し出すストーリーと書かれていた。まあたしかにそういう社会問題もうかがえる。ただこれはもっと別の、そんな枠には収まらないフィクションなんじゃないの。知らんけど。貧困という言葉で括ってしまいたくない。

 

とにかく、かなり短い小説だけど新たな世界に触れた気がした。まずブラジル人作家の作品を読むのは初めてだったと思う。ナレーターがこんなに気まぐれなのも初めてだった。あと、日本語バージョン(『星の時』(2021) )があることを知らずに英語で読んだので、もう一度日本語で読み直したい気分にもなった(日本語訳をなさった福嶋伸洋さんのあとがきがこのブログの何億倍も素敵なので読んでみてください)。映画(1985)もあるらしい。

英語版には翻訳家ベンジャミン・モーザーのあとがきがあって、クラリッセの独特な表現を英訳することの難しさが語られていた。各国の訳者たちの試行錯誤の末に出版されているなら、言語によってまた違った印象を受けるんだろうな。あー、外国語できるようになりたい。泣きそう。泣くな。

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