弾丸熱波バルカン
学生のような弾丸旅をしました。
正直、一緒に行った人々は私よりも若い。しかし、夜行バス…?聞き間違い…?
友だちがバルカン半島どこでもいいから行きたいと言い出し、一から一緒に計画を練った。ロンドン発着の飛行機がある都市とない都市。例えばアルバニアに結構行きたかったけど良い感じの時間帯と値段の飛行機がなくて断念。
なんだかんだで全4日間の旅程はこんな感じに…
プーラ(クロアチア)→夜行バス10時間弱→ベオグラード(セルビア)→宿泊→バス7時間→サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)
や、夜行バス??(2回目)
生きて帰ってこれたのでもうこれ以上文句は言いません。でも今後、大人になった身としてはこれで最後でいいかな…。
1日目:プーラ
正直聞いたことない。クロアチアがめっちゃ良いところというのは何となく知っていて、でもみんなザグレブとか南のほうの海辺に行くのかな。私たちは完全に飛行機とバスの接続の都合+海辺には行きたいかも…ということでこの北部のプーラという街にやって来た。
第一印象、イタリア。いや、イタリアあんまり行ったことないんだけど、これはローマだな。
と思うのもあたり前で、古代ローマ時代に造られた円形闘技場が一番の見どころ。そういえばプーラはイタリアの対岸(イストリア半島)に位置するんだよな。あのローマのコロッセオみたいなのがある。入場料ケチって中には入らなかったけど、西暦27~68年くらいの間に建設されたよう。初代アウグストゥスから9代目ウェスパシアヌス帝の間だって。この9代目よく知らなかったけど、死ぬ間際のセリフ「残念なことに余は神になりつつある」だったらしい、強すぎ。私も言いたい。
街並みはカラフルで可愛い。空が青くて暖かい国はこういう景色になるんだね…と、曇天のイギリス在住の我々は感動していた。
料理は海鮮、あと手でちねったようなパスタ(言い方)などなど。あとは果実酒も豊富で、イストリアの酒はほかの地域とは違うんだぜ!と、お土産店の人は誇らしげだった。(実際この後に行った国でも飲んだ気がするが、この地方(広義)の名産ということはわかった。)
さて、早朝フライトと同日に運命の夜行バス。メイク落として歯磨きして、バスに乗り込んだ。もちろん日本の長距離バスのようにカーテンも充電コンセントもリクライニングもない。行くぜ10時間。待ってろベオグラード。
2日目:ベオグラード
夜行バスではなんとなーーーく寝た。休憩のたびに明かりがつくので熟睡ではなかったけど。セルビアとの国境はでパスポートコントロールがあり、真夜中にバスから降ろされて寒かった。
前のバスが出国にてこずって職員が車内に乗り込んだりしていたのでちょっと不安だったけど、お~日本人、と言われただけで済んだ。
日の出とともにベオグラード入り。いきなり国旗がそこら中に掲げられている。
セルビアの朝は早いのか、まだ6時くらいなのにカフェは開いているし、出勤する人々で道は結構混んでいた。
朝ごはんを食べてもまだ7時半。目当ての博物館の開館時間までカフェで暇をつぶすことになったが、全員半寝や体調不良で、カフェで目を閉じて瞑想するアジア女子3人が爆誕してしまった。なんとか力を絞り出して、正教会の建物を見たり、中でお祈りする人の様子を伺ったりしながら、なんとかMuseum of Yugoslaviaに到着した。
この博物館は南ユーゴを統治していたチトーの内容が多くて、ナチス支配と独立からソ連の干渉の歴史を経て現在、という構造。各国からチトーに送られた贈呈品とかも置いてあった。チトーは第二次世界大戦中に枢軸国の支配下にあったユーゴスラビア王国で抵抗運動を展開して、戦後にユーゴスラビア社会主義連邦共和国の初代首相になった人。チトーの死後、彼ほどにカリスマ性のある指導者が現れず、民族間の対立が深まって戦争に発展。現在地図上で確認できる国々が独立したというわけだそうです。第一次世界大戦前からずっとヨーロッパの火薬庫だったのかなという気がした。
こじんまりした空間だけど、無料ロッカーに荷物を預けたりできる配慮あり。
外に出ると26℃くらいだった。話に聞いてはいたが暑い。まだまだ寒い国から来たので今のうちに光合成っと。
瀕死で宿に向かい、昼寝、からの現地在住の友だちとディナーができて盛りだくさんだった。ご飯は牛のスペアリブとご当地サラダ。なんかカッテージチーズみたいなのがかかったキュウリ、トマト、パプリカのシンプルなサラダ。疲れていたので染みた。
宿があるっていいね…と言いながら、翌日の早朝バスに向けて就寝。
3日目:サラエボ
5時半起床。おはようございます。眠いね、当たり前だが。
半分暗闇でメイクをしてバス乗り場へ。今日も朝焼けがきれい。
乗り場につくとホームへの入場料を払わされた。バスはマイクロバスみたいなやつで出発。運転手のお兄さん、ずっとわき見運転しててすごかった。ずっとスマホいじるか、斜め後ろにいる同僚?の顔を見て話していた。こういう時はアイコンタクトしなくてもいいんよ。そして後ろの人も運転手にそんなずっと話すことある?
まあ死ななかったのでいいか。
パスポートコントロールを経て国境を超えると、めちゃくちゃきれいな大自然が広がったいた。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、お前、こんな所なんだな…。一日目からバルカンは緑が生い茂っている印象だったけど、ここは山と川が広がる温泉地みたいな場所だった。(なんでも日本と比べて考えるのやめたい…。)
休憩所で目撃してしまった汚トイレに衝撃を受けたが、そのあとは爆睡していたので覚えていない。目が覚めると終点。市内に着くと思っていたのに、中心部から車で30分くらいかかる場所に降ろされてしまった!罠!罠!(※罠じゃないです)
しかもスマホのネットワークが繋がらず、とりあえずタクシーの運転手に話しかけに行った。どれくらい英語が通じるかわからなかったけど、歴史ミュージアムに行きたいと伝えると、OK、10ユーロね、という感じで乗せてくれた。(現地通貨もあるけどユーロとの固定レートなのでタクシーではユーロ使えた。)
一安心、と思って乗っていたら、どんどん市内の反対に進んでいる。ええ…こういうこと実際にあるんだな…と不安に思っていると、トンネルミュージアムというところに到着していた。なんじゃそりゃ、と思ったけど、戦争中に使われてた空港まで続くトンネルの博物館らしくちょっと面白そうだ。
…じゃなくて、我々は市内に行きたいんだ、ともう一度言ってみると、あ~~~!ごめんね!オーマイガー言うて軌道修正してくれた。悪い人じゃなくてよかった。
運転中、「中国人?」と聞かれたので、ジャパニーズよ、と答えるとなんと通じなかった。3回くらい言っても通じないので今回の旅行中に誰かが私に言ってきた「ヤーパン」(ドイツ語風?)と恥ずかしがりながら口に出すと通じた。あ~~ヤーパンね、スズキ、トヨタ俺らも乗るで。そういえば中国と北朝鮮とは友だち?韓国は?広島・長崎って今は普通に生活できてる?…等々、いきなり外交問題を投げかけられてヘラヘラしてしまった。
無事目的地に到着して、ご飯食べてここでもユーゴスラビア歴史博物館に行き、街歩き。他の2都市とも全然違う雰囲気で、ムスリム人口も多いからかモスクもあるし、あと家は瓦屋根が日本っぽいと言ったら怒られるかもしれないけどこれが東欧の感じなのかなとか、いろいろ思いました。
人も優しくて、晩御飯を食べたレストランでは隣で80歳のお誕生日会が開催されており、半ば強制参加、写真撮影、歌をうたう、ショットをご馳走になる等、最終日に相応しい楽しい夜だった。
次の日の朝に空港に向かい帰国しました。
総じて人が優しかったのと、大抵の場所でクレジットカードが使えたのと、物価がなんと言っても安くて、いつもバーガーとドリンク1杯に5000円くらい払ってるの虚しくなった。移住しようかな。生活水準というか満足度が違いすぎるよう。
行くまで地図も地名も覚えられなかったけど、今回の旅を通してちょっとわかった気分になれた。マイナーやらかしさえもないスムーズな旅でした。事前にGoogleドキュメントとかで打ち合わせをするガリ勉スタイルだったのでそれが実を結んだのかなと思って自己肯定感を高めておいて今日は終わりにします。
おすすめ旅行地があれば教えてください。