まるく収まるマラウイ?

マラウイは貧しい。

国民一人当たりGNIは570米ドル、一日1.9米ドル(国際貧困ライン)以下で暮らす国民は全体の70%にのぼる。そもそも国が外貨を全然持っておらず、通貨価値も下落。財政は行き詰っている。

そんな中ドルで給料や手当をもらっている駐在員の私なんて上位数%の金持ちにカテゴライズされる。人生初の金持ち経験から、現地人との関わり方で見えてきたことがある。それは一つの真実というよりもマラウイの文化と社会について。何ドルとか数字を言われてもピンと来ないだろうから、私の実体験を書いてみようと思う。

 

カリブ精神

カリブ(Kalib)とは、チェワ語で「こっちに来て、みんなでご飯を食べよう」という意味。マラウイには助け合い精神が根付いている。「アフリカの温かい心」と言われるのにも一応理由があるのだろう。

先述のとおり、マラウイの人々は貧困を強いられている。国民のほとんどが農業で生計を立てており、干ばつや洪水、ちょっとした雨量の違いでも生活が立ち行かなくなる。気候変動に最も晒される人々ってこういうことなんだ、と初めて身をもって知った。

ただ、どんなに貧しくてもなぜか喰いっぱぐれないという。それは家族や友だちがご飯を分けてくれるから。(もちろん例外もあって、貧しい村ではお年寄りや病気になった家族は家の外に出されるという酷な現実もある。)

このカリブ精神の延長とでも言えるだろうか、もう少し生活水準の高い人々の間では金銭の貸し借りも多い。ここで最もあてにされるのが私のような外国人である。ある意味正しい。だって外国人が金を持っているのは事実だから。

例えば、雇っている運転手さんから、家族が病気になったから、知り合いの子どもの学費を払うから(自分の子どもでさえなくて驚いた←安定した収入があると家族や友だちからめちゃくちゃあてにされるらしい)、葬式に行くための交通費が必要、などという理由で給料とは別に借金を頼まれることは多い。現地人の同僚からは、国外旅行で泊まるホテルへの支払いを建て替えてほしい(これはマラウイの銀行の機能不全のせいでもあるが)とか、友だちの子どもが日本の大学に留学するけど入学金の支払いが間に合わないからお願い、とか、結構あります。

もちろん貸せないわけではない。でも日本で育った自分は金銭の貸し借りに慣れていなくて、めちゃくちゃ戸惑う。このお金は返ってくるのだろうか。いや、そんなこと気にしたらダメなのかな…。一人に貸したら他の人にも貸さないといけなくなるかな…。いや、自分がこの国にいる時だけであればチャリティ感覚でお金をあげてもいいのかしら。などと一通り悩んで、結局いつも貸してしまう。こればっかりは外国人の間でも意見が割れるというか性格や理念があらわになる部分な気がする。むずいです。

 

Madam, you decide...

さて、貸す・渡す額を提示してくれればまだいいほうだ。実は多くの場合、個人間でも、時には店であっても、Sir/Madam(金持ち、雇い主、客)に支払いたい額を決めろと言ってくる。ほんと、自分に自信を持ってほしいところではあるが、マラウイ人は本当に奥ゆかしすぎる部分があり、こういうことは上位の人間が決めるべきだという風潮がある。絶対に植民地時代の名残だろと思うこともある。

タクシーの支払いはその時のガソリン代によって毎回交渉、テニスのコーチともコート代の変動によって毎回交渉。昼ごはん代を求めてくるストリートキッズも空港職員も警察官も、自分から値段は提示しない。

最近は愛犬が一時いなくなるというショッキングな出来事があった。いつも敷地内からは出ず、呼んだら戻ってくる犬が夕方になっても帰ってこなかった。少し探したあと、心配になって大家さんのお手伝いさんに連絡して一緒に探してもらっていたら、ほどなくして犬を抱いた若者が現れた。小さな犬がひとりで行くには遠すぎるのでは、という場所で見つけてくれたという。最初は、見つけてくれてほんまおおきに(´;ω;`)だったが、お手伝いさんの通訳によると見返りにお金がほしいとのこと。この時もなんぼほしいの?と言ってもI don't konw...の一点張りで、適当に私が決めた額を渡すと、「この犬は売ったらもっと高いのに」などと言って不満そうだった。

あとから大家さんに話すと、ペットを盗んでこんな手口でお金を要求されることは結構あるからね、と教えてもらった。いなくなった犬が戻って来た安心感と、詐欺まがいのことをされたかもしれないこと、自分が金額を決めなければいけなかったこと、でもその若者もそれくらい金に困っていたのかもしれないこと、でもカモにされたくないし、こんなことで人々は豊かにならない、負の連続だろう、いろいろ頭を駆け巡った。

 

この格差社会で上位に立つことの意味、どうすれば還元できるのか、差を少なくできるのか。間が悪いマラウイ、でも丸く収まるマラウイ。人々はそんなことを言う。何か悪いことが起こっても助け合ってどうにかなる。でも植民地支配の負の遺産と日々向き合い、支配はまったく終わっていないと実感する。むずいです。そんな日々。

 

漸進的ビフォーアフター

海外生活連続3年目も後半に突入し、日本にいた頃の自分と、今の自分って何か変わっただろうかとふと考える瞬間がある。結論から言うと特に変わっていない。ただ、海外でイギリス人夫と常に異文化交流をしていると、影響されてきた部分はあるんじゃないか。

 

例えば、自分の中で一番感じるのは、レストランに行く時。日本だと、メニューをもらって店員さんを呼んで注文して、その他も用があれば手を挙げて「すみません」と呼びかける。イギリスでは、メニューをもらって注文が決まると、メニューを閉じてじっと待つ。じっと。(呼ばなくても店員さんが来てくれるシステム。)用があればものすごく申し訳なさそうに店員さんを呼び止める。so sorry, thank you so muchである。サービングされている間この言葉を死ぬほど言う。マラウイでも外国人が多いちょっとファンシーな店では欧米方式だ。

という文化の違いがあり、夫は日本にいた時に人々が好きなタイミングで店員さんを呼び止めたり、韓国に行った時にはただ人々が注文を宙に向かって叫ぶアジアンスタイルに軽いショックを受けていた。そんなイギリス人と暮らしていると少なからず影響を受け、店員さんを呼び止めるという行為を億劫に感じ始めてきた今日この頃。

 

そのほかは、より一層身なりを気にしなくなったこと。元々別にマメに美容をしていたわけでもないが、本当にどうでもよくなってきた。だって誰も私のことを見てないし。

一時帰国中に泊まっていたホテルの明るい光で自分の顔を見た時、シミ・そばかすの増加具合にぎょっとした。この顔で歩き回って社会生活送っていたんだ…という衝撃。イギリスは暗くて鏡を見ても詳細はわからなかったし、マラウイは逆に日光はあるけど室内灯が暗すぎて気づかなかった。

でも、まあいいや。

↑元の性格もあるが、どうしようにもどうにもできない、基礎化粧品など売っていない、レーザー治療などないこの国で、諦めの心が磨かれていく。元々のミニマリスト気味気質が尖っていく。

可愛くておしゃれな友だちに会うたびにこんな髪型と顔と服装でごめん、と内心思っている。日本に帰ったら自分も自動的にもう少し気を遣うようになるのではないかという甘えもあり、今は申し訳なく感じて恐縮しているだけで良いと自分に思い込ませている。

 

数年後には日本に帰る(予定)が、この先でまた変わることもあるのかしら。日本が恋しい気持ちと離れている心地よさとの狭間で。

人生マラウイ章スタート

マラウイに引っ越しました。

昔イギリスから日本に帰国する時は号泣しながら飛行機に乗ったけど、今回はさすがにワクワク感が勝ってエモーショナルになる暇もなく到着。

 

アフリカに初めてやって来た。アフリカと言っても広いけど。

思い返せば学部時代からなんとなく興味を持って勉強していたサブサハラに駐在できるのはなんだか感慨深い。来るときのフライトも、エチオピアコンゴ民主共和国で一時滞在があり気分は高揚していた。私の職場には好んでアフリカに行きたい人は少なくて、喜んでいる私は変人扱いされる。

 

マラウイは南緯15度に位置する小さい国。国土の4分の1が湖でできている(その名もマラウイ湖)。首都リロングウェに来たわけだが、空港から市内に向かう時の景色が忘れられない。本当に田舎。道路はあるものの、両脇はどこまでも広がる赤土と木。人々が槇を担いで歩いている。信号待ちの車に物を売っている。夕方だったこともあり、一面オレンジの情景が脳裏に焼き付いた。

南半球なので、日本の夏は冬、冬は夏。正確には乾季と雨季に分かれていて、7月現在は乾季だ。ということで毎日晴れ晴れ晴れ。気温は最高23℃、最低7℃と差が大きい。赤道に近いから”夕暮れ”の時間が短い。空は明るいか暗いかの二択。毎日真っ赤な夕日が存在感を放ちながら消えていく。ハクナマタタ。首都であっても。

雨季はインフラが不安定になったりガソリンがなくなったり、いろいろと大変なことがあるみたい。でも今のところはお湯の加減とか水圧もイギリスより全然良いし、修理はすぐ来る。オワコンの”先進国”からいわゆる発展途上の国に来ると、どこかしら前向きな気持ちになれそうでもある。もちろん詰んでる課題もたくさんあるし、私は外国人駐在員として良い地域に住んでいるという特権もある。

 

天気が良いから外を歩きたいけれど、なんといっても車社会。日本の中古車(日本の救急車とかも)がよろよろと走っている。故障してても、窓ガラス泥だらけでも、ナンバープレートが外れてても走る。荷台にも乗る。赤ちゃんを抱っこしていても乗る。指示器?なんですかそれ。ラウンドアバウトでは右からくる車優先?知りません。車線変更?そんなもん気合じゃ。クラクション楽しいから鳴らそう。

というマリオカート状態なので、運転が下手な自分には逆に自信がつきそう。私の運転でも怒られなさそう。徒歩3分の距離を車で移動したりするのは自分のポリシーに反するが、それもまたアフリカ人生。

 

物価は高い。マラウイは国民のほとんどが自作農の農民。というわけでスーパーに並んでいる製品はほぼ南アフリカなどからの輸入品。物価高い上にインフレが進んでおり、いつもありえないほどの札束を持ち歩く羽目になる(Visaカードも使えるけど基本は現金社会)。レジでの会計も緊張する。何十枚ものお札を数えて確認して、レジの人にも数えてもらう。ちなみに通貨はクワチャ。インフレなので20クワチャとかがおつりで返ってきてももう紙切れだ。外食も安くはない。イギリスにいた時と同じくらいだろうか。

お酒はたくさんある!マラウイビール、マラウイジン、マラウイウォッカ。あと南アフリカのワインがたくさん。これは幸せなことである。中国人や韓国人のおかげでアジアンスーパーやレストランもある。ありがたい。日本食レストランは無い。悲しい。

最近品薄で売ってない。この時に買うべきだった(泣)

こんな感じで生きています。見たこともない植物や鳥がいて楽しい。これもすぐに慣れてしまうのだろうけど。

とりあえずの目標は運転免許を書き換えること(国際免許を持っていないため…)。オンラインでテストを受けなければならないので、エール送ってください。マラウイにも遊びに来てください。でも別に来なくても大丈夫。

拝啓、ネコ様

隣の家の塀の上を歩いている黒猫を見かけた。黒猫が好きだ。

 

猫を飼ったことがあるわけでもない、なのに憧れて止まない生き物。

父方の祖父母の家にクロという黒猫がいた。幼かった頃の自分にとって階段の踊り場、二階の部屋への入り口に君臨しているクロがいつも少し怖かった。人懐っこいわけではなく、名前を呼んでも尻尾で返事するか、めんどくさそうに黄色い目を半開きにしてこちらを確認するだけ。

歳をとってからは可哀想に、近所の家でおしっこをするからと二階のおじいちゃんの部屋のちゃぶ台の脚に繋がれてしまった。毛もぼさぼさになって、私たち家族が泊まる部屋の畳の上に吐いたものが残っていたり(おばあちゃんも歳を取りなかなか二階に行くことがなかった)、ふすまをズタズタに引き裂いたり、自分にはコントロールできない生き物なのだという印象が強い。今では撫でてあげたことがあるかどうかさえもわからない。性別はたしかオス…。明け方に信じられないくらい可愛い声で鳴いているのを聞いた時、本当に不思議だった。本当に、叔父さんの腕を引っ搔いて大出血させていたあの猫が?

おじいちゃんだけには懐いていた。繋がれているのに、おじいちゃんが死んだ数日後に窓の外に飛び降りようとしたくらい(というか飛び降りて、近所の人にお宅の猫ちゃんが宙ぶらりんになってるよ!と教えてもらい回収した)。

 

そういえば、母が私を妊娠した時、ひいおばあちゃんが「クロが赤ちゃんを連れてきてくれたんだ」と言っていた話を聞いたことがある。クロは母親猫に連れられ祖父母の家の庭に現れ、置いて行かれたらしい。私が生まれる一年くらい前。人生の先輩。結局クロは20年くらい生きて、たしか叔父さんが埋葬してくれた。離れた場所に住んでいたからお別れも言えないまま、特に仲良くもならないまま。

 

家では一度もペットを飼うことなく育ったけど、ひいおばあちゃんエピソードや飛び降り事件のせいか、大人になってから猫のスピリチュアルさみたいなものに惹かれるようになった。人間の言うことを聞かないところとか、無断で家具にガリガリ爪を立てたりするところが好きだ。人間の所有物とエゴなんてどうでもいいんだと思わせてくれる。

ロンドンではまったくと言っていいほど野良猫を見かけなかったけど、イングランド北部の街に引っ越してからは住宅地でよく見る。今の家では隣家のおばあさんが飼っている「チビちゃん」がよくうちに遊びにくる。白とオレンジの女の子。たしか2歳くらいで、記憶の中のクロよりもフレッシュでおてんばな印象。引っ越してきた当日、いきなり新しい住人を確認するために家の中に入って来た。窓の外にやってきて「入れろ」という頻度が増え、最近は毎日、多い時は複数回。だから、突然来ない日が続くと寂しい。とても寂しい。完全に心をもてあそばれている。

他人様の猫ちゃんだから、あまり私物化してはいけないなと思いつつ、膝の上に乗ってくれるようになったチビちゃんは可愛い。太陽のにおいがする。外を冒険してるくせに、なんだか綺麗。若いから鼻はしっとり濡れている。猫になりたい。所説あるが、人間が転生するには5年ほどかかるのに比べ、猫は数時間から1年で生まれ変わるらしい。あと、「猫に九生あり」とか「猫を殺せば七代祟る」とか"If you would know a man, observe how he treats a cat"とか、ことわざも多い。でも人間が猫に生まれ変わるにはどうすればいいんだろう。ネットで調べると「人間はどれだけ徳を積んでも猫にはなれません」なる文言を目にしてちょっと泣きそうになった。

人間のこんな想いも猫には届いていなさそうでもあり、そういうところが好き

とにかく、自分が大人になるにつれて猫のありがたみを感じるようになった。クロのことも、もっと知りたかった。かつては夜に猫の集会に行っていたのに、繋がれて辛くなかったかな。長生きしておじいちゃん、おばあちゃんのそばにいてくれてありがとう。というかもうとっくに輪廻転生してるのかな。またどこかで会えますように。

 

みんなの好きな数字教えて

夏です。

さすがのロンドンにも太陽が戻ってきた。すでに26度を記録して、熱波が来ない限りはこれがほぼ最高気温だろう。
すると人間が急に外で活動し始めるのが虫のようでおもしろい。しかもイギリス人はすぐ半裸になる。田舎だけだと思ってたけどロンドンでもこの現象が起こっている。昔長野のスキー場で西洋人らしきスノーボーダーが上裸でゲレンデをウロウロしていたことに衝撃を受けたが、ロンドンに引っ越してからは太陽を浴びたい気持ちが少しわかるようになった。他の人と違って私は肌を焼きたくはないけどビタミンは欲しい。長い冬を越すために必要なのだ。

 

4年前、ノリッチという田舎にいた頃はコロナパンデミック中でやることが皆無。そんな時に公園で昼寝することがどんなに気持ち良いか知ってしまった。あいにくロンドンは公園にも人が多いし、深呼吸したら排気ガスで肺が真っ黒になるであろう。

でも日も伸びて、人々もどこかウキウキしているこの季節が好き。

ペリカン探しに来たのにいなかった日

 

ところで、先日受けたIELTSのスピーキングテストでこんな質問があった。

「好きな数字は?」

背番号とか持ったことのない私は、

「…4、ですかね…。4人家族なので…。」

 

え、意味不明だよね。みんなは好きな数字ある?!助けて。答えながら死んでしまいたかった。別にどんな回答でもいいのはわかっていても、自分が言ってることの無茶苦茶さを自覚しながら話すの本当につらい。でもIELTSは自分との闘い。

「好きなネイチャー番組は?」も過去に聞かれた。存在しないクジラのドキュメンタリーを頭の中で生み出した記憶あり。ダーウィンが来たをもっとまじめに観ておけばよかったです。

要するに対策のしようがあまりない?変なことを聞かれる度胸だけ持っていればいい?

 

その他のリスニング、ライティング、リーディングは初めてコンピューターで受験した。人の話を聞いていなさすぎて、みんなを待たないといけないところで次に進んで怒られたりした。悲しい。難しい。ごめんなさい。ライティングはUKキーボードにあまり慣れていないせいでShiftキーを押し間違えて怪文書を生み出した。

 

人生で受けるのも最後かもしれない。おつかれ。

太陽を浴びながら帰ろうとしたら雨が降っていた。裏切らない街ロンドン。

弾丸熱波バルカン

学生のような弾丸旅をしました。

正直、一緒に行った人々は私よりも若い。しかし、夜行バス…?聞き間違い…?

 

友だちがバルカン半島どこでもいいから行きたいと言い出し、一から一緒に計画を練った。ロンドン発着の飛行機がある都市とない都市。例えばアルバニアに結構行きたかったけど良い感じの時間帯と値段の飛行機がなくて断念。

なんだかんだで全4日間の旅程はこんな感じに…

プーラ(クロアチア)→夜行バス10時間弱→ベオグラードセルビア)→宿泊→バス7時間→サラエボボスニア・ヘルツェゴヴィナ

 

や、夜行バス??(2回目)

生きて帰ってこれたのでもうこれ以上文句は言いません。でも今後、大人になった身としてはこれで最後でいいかな…。

 

1日目:プーラ

正直聞いたことない。クロアチアがめっちゃ良いところというのは何となく知っていて、でもみんなザグレブとか南のほうの海辺に行くのかな。私たちは完全に飛行機とバスの接続の都合+海辺には行きたいかも…ということでこの北部のプーラという街にやって来た。

第一印象、イタリア。いや、イタリアあんまり行ったことないんだけど、これはローマだな。

と思うのもあたり前で、古代ローマ時代に造られた円形闘技場が一番の見どころ。そういえばプーラはイタリアの対岸(イストリア半島)に位置するんだよな。あのローマのコロッセオみたいなのがある。入場料ケチって中には入らなかったけど、西暦27~68年くらいの間に建設されたよう。初代アウグストゥスから9代目ウェスパシアヌス帝の間だって。この9代目よく知らなかったけど、死ぬ間際のセリフ「残念なことに余は神になりつつある」だったらしい、強すぎ。私も言いたい。

街並みはカラフルで可愛い。空が青くて暖かい国はこういう景色になるんだね…と、曇天のイギリス在住の我々は感動していた。

料理は海鮮、あと手でちねったようなパスタ(言い方)などなど。あとは果実酒も豊富で、イストリアの酒はほかの地域とは違うんだぜ!と、お土産店の人は誇らしげだった。(実際この後に行った国でも飲んだ気がするが、この地方(広義)の名産ということはわかった。)

 

さて、早朝フライトと同日に運命の夜行バス。メイク落として歯磨きして、バスに乗り込んだ。もちろん日本の長距離バスのようにカーテンも充電コンセントもリクライニングもない。行くぜ10時間。待ってろベオグラード

残念ながら神になってしまったウェスパシアヌス

 

2日目:ベオグラード

夜行バスではなんとなーーーく寝た。休憩のたびに明かりがつくので熟睡ではなかったけど。セルビアとの国境はでパスポートコントロールがあり、真夜中にバスから降ろされて寒かった。

前のバスが出国にてこずって職員が車内に乗り込んだりしていたのでちょっと不安だったけど、お~日本人、と言われただけで済んだ。

日の出とともにベオグラード入り。いきなり国旗がそこら中に掲げられている。

セルビアの朝は早いのか、まだ6時くらいなのにカフェは開いているし、出勤する人々で道は結構混んでいた。

朝ごはんを食べてもまだ7時半。目当ての博物館の開館時間までカフェで暇をつぶすことになったが、全員半寝や体調不良で、カフェで目を閉じて瞑想するアジア女子3人が爆誕してしまった。なんとか力を絞り出して、正教会の建物を見たり、中でお祈りする人の様子を伺ったりしながら、なんとかMuseum of Yugoslaviaに到着した。

この博物館は南ユーゴを統治していたチトーの内容が多くて、ナチス支配と独立からソ連の干渉の歴史を経て現在、という構造。各国からチトーに送られた贈呈品とかも置いてあった。チトーは第二次世界大戦中に枢軸国の支配下にあったユーゴスラビア王国で抵抗運動を展開して、戦後にユーゴスラビア社会主義連邦共和国の初代首相になった人。チトーの死後、彼ほどにカリスマ性のある指導者が現れず、民族間の対立が深まって戦争に発展。現在地図上で確認できる国々が独立したというわけだそうです。第一次世界大戦前からずっとヨーロッパの火薬庫だったのかなという気がした。

こじんまりした空間だけど、無料ロッカーに荷物を預けたりできる配慮あり。

外に出ると26℃くらいだった。話に聞いてはいたが暑い。まだまだ寒い国から来たので今のうちに光合成っと。

瀕死で宿に向かい、昼寝、からの現地在住の友だちとディナーができて盛りだくさんだった。ご飯は牛のスペアリブとご当地サラダ。なんかカッテージチーズみたいなのがかかったキュウリ、トマト、パプリカのシンプルなサラダ。疲れていたので染みた。

宿があるっていいね…と言いながら、翌日の早朝バスに向けて就寝。

ヨシップ・ブロズ・チトー元帥
3日目:サラエボ

5時半起床。おはようございます。眠いね、当たり前だが。

半分暗闇でメイクをしてバス乗り場へ。今日も朝焼けがきれい。

乗り場につくとホームへの入場料を払わされた。バスはマイクロバスみたいなやつで出発。運転手のお兄さん、ずっとわき見運転しててすごかった。ずっとスマホいじるか、斜め後ろにいる同僚?の顔を見て話していた。こういう時はアイコンタクトしなくてもいいんよ。そして後ろの人も運転手にそんなずっと話すことある?

まあ死ななかったのでいいか。

パスポートコントロールを経て国境を超えると、めちゃくちゃきれいな大自然が広がったいた。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、お前、こんな所なんだな…。一日目からバルカンは緑が生い茂っている印象だったけど、ここは山と川が広がる温泉地みたいな場所だった。(なんでも日本と比べて考えるのやめたい…。)

休憩所で目撃してしまった汚トイレに衝撃を受けたが、そのあとは爆睡していたので覚えていない。目が覚めると終点。市内に着くと思っていたのに、中心部から車で30分くらいかかる場所に降ろされてしまった!罠!罠!(※罠じゃないです)

しかもスマホのネットワークが繋がらず、とりあえずタクシーの運転手に話しかけに行った。どれくらい英語が通じるかわからなかったけど、歴史ミュージアムに行きたいと伝えると、OK、10ユーロね、という感じで乗せてくれた。(現地通貨もあるけどユーロとの固定レートなのでタクシーではユーロ使えた。)

一安心、と思って乗っていたら、どんどん市内の反対に進んでいる。ええ…こういうこと実際にあるんだな…と不安に思っていると、トンネルミュージアムというところに到着していた。なんじゃそりゃ、と思ったけど、戦争中に使われてた空港まで続くトンネルの博物館らしくちょっと面白そうだ。

…じゃなくて、我々は市内に行きたいんだ、ともう一度言ってみると、あ~~~!ごめんね!オーマイガー言うて軌道修正してくれた。悪い人じゃなくてよかった。

運転中、「中国人?」と聞かれたので、ジャパニーズよ、と答えるとなんと通じなかった。3回くらい言っても通じないので今回の旅行中に誰かが私に言ってきた「ヤーパン」(ドイツ語風?)と恥ずかしがりながら口に出すと通じた。あ~~ヤーパンね、スズキ、トヨタ俺らも乗るで。そういえば中国と北朝鮮とは友だち?韓国は?広島・長崎って今は普通に生活できてる?…等々、いきなり外交問題を投げかけられてヘラヘラしてしまった。

無事目的地に到着して、ご飯食べてここでもユーゴスラビア歴史博物館に行き、街歩き。他の2都市とも全然違う雰囲気で、ムスリム人口も多いからかモスクもあるし、あと家は瓦屋根が日本っぽいと言ったら怒られるかもしれないけどこれが東欧の感じなのかなとか、いろいろ思いました。

人も優しくて、晩御飯を食べたレストランでは隣で80歳のお誕生日会が開催されており、半ば強制参加、写真撮影、歌をうたう、ショットをご馳走になる等、最終日に相応しい楽しい夜だった。

サラエボ事件オーストリア皇太子夫妻が暗殺された橋

 

次の日の朝に空港に向かい帰国しました。

総じて人が優しかったのと、大抵の場所でクレジットカードが使えたのと、物価がなんと言っても安くて、いつもバーガーとドリンク1杯に5000円くらい払ってるの虚しくなった。移住しようかな。生活水準というか満足度が違いすぎるよう。

行くまで地図も地名も覚えられなかったけど、今回の旅を通してちょっとわかった気分になれた。マイナーやらかしさえもないスムーズな旅でした。事前にGoogleドキュメントとかで打ち合わせをするガリ勉スタイルだったのでそれが実を結んだのかなと思って自己肯定感を高めておいて今日は終わりにします。

おすすめ旅行地があれば教えてください。

冬のミラノ大作戦

憧れのイタリア、行って参りました。

周りからもイタリアは行かなきゃとか、母親からはママも27歳の時に行ったな~とか、プレッシャーもありつつ、美味しいものは大陸で(英国在住)の精神で死んでも行くぞと思っていたイタリア。初回はミラノに上陸しました。

理由は簡単、グーグルフライトで地図を眺めた時に最安値だったから。年始ということもあり、真冬のイタリア(特に北部)はオフシーズン。今回、冬でもイタリアを満喫できるのか心配しながら向かったわけでした。冬のミラノの様子や注意点をまとめた日本語のブログが少ないような気がしたので、今後のどこかの誰かのために書いてみようと思う。

 

1.大きな街だから機能はしているがエピファニーがあるよ

ヨーロッパのクリスマスは家族や友だちとお家で過ごす期間なので、お店や公共交通機関はほぼすべて停止します。(とはいえ、ミラノはクリスマスマーケットが有名のよう。)ただ、そこで休暇ムードは終わり、年始は大体2日から街が通常運転に戻る。私たちは1月3~7日に旅行したので、お店は普通に開いていて、仕事に向かう人の姿もちらほら。

ただ注意したいのは、ミラノではこの期間も静かにクリスマスが続いているということ…。

というのも、「エピファニー(公現祭)」という祝日がミラノでは一大行事。新約聖書の中で、キリスト誕生から12日後の1月6日に、東方三博士と呼ばれる3人の賢者がお祝いにやって来たということらしいです。ミラノでは、この賢者たちがミラノの地に眠っているとされているため、MATSURIというわけだ。(この人たちに関する美術館も多くて面白かった!)

私たちは行きたいレストランを何個か目星をつけていたのだけど、年末からこのエピファニーが終わるまでお休みします、という場所も多くて断念する場面があった。

そこで皆さんにお伝えしたいのは、「グーグルを信じるな」です。レストラン探しでグーグルマップを活用する私ですが、どうやらお店のイレギュラー休業は把握できていないらしく、「23時まで営業中!」とか平気で記載されている。

そこで我々が編み出した作戦は、

・直近のレビューがあるか確認する

・店の予約システムが使えるか確認する

・それでもわからなければ直接見に行く(作戦なのか…?)

でした。

最後の点は、例えば夜に行きたいお店があれば、昼間の観光中に様子を見に行ってみるとかそういうあれです。原始的。

ただ、イタリアの慣習であるアペリティーボ(食前酒)ができる店は大抵開いている様子でした。このアペリティーボ、お酒を一杯頼むとめちゃ美味なハムとオリーブとパンが出てくるという素敵システム。10ユーロくらい。もう永住したい。全世界でアペリティーボ導入してほしいくらい。ここでカクテルやワインを嗜んだ後、本番のディナーレストランに向かうというなんとも余裕のある夜の過ごし方。見習いたいです。

 

2.公共交通機関は充実、でも大概歩ける

公共交通機関貧弱国イギリスで普段暮らしていると、ミラノは何倍もシステムが整っていると感じた。というか日本と同じくらい時間どおりで便利だった。

鉄道、地下鉄、トラム、バス等々ありますが、昨年くらいからコンタクトレス決済が導入されているので、最悪スマホ一つあれば乗れます。鉄道、地下鉄は改札で、トラム、バスは車内の機会にピッとすれば完了。(ちなみに、ミラノはあらゆるお店がカード払いに対応しないといけないという法律があるらしく、現金ゼロで過ごせました。最高。)

ただ、観光客的には街並みを見ながらガツガツ歩きたい人もいると思うのですが、街中は余裕で歩けます。ガイドブックとかの散歩ルートを真似するのも楽しい。歴史ウォーク、建築ウォークなどテーマを決めて美術館に寄りながら、美味しいもの食べながら。

雨がひどい時にトラムに乗ってみるとか、そういう使い分けがいいかもしれない。もっと公共交通機関を使いたい人は、パスを買うのもおすすめです。

 

3.英語は通じるけどイタリア語少しできるといいだろうなぁ

大都会なのでお店の人達も私のような迷える観光客の扱いに慣れています。ありがたいね、、。英語使ってくれてありがとう、、。私は勉強不足でぼんじょるの、ぐらっちぇ、ちゃお、ぺるふぇぼーれ、くらいしか話せず不甲斐なかった。でも街の人たち優しく対応してくれて泣きそうになりました。ぷれーご(どうぞ)!って言ってご飯を出してくれる。好き。レストランのグーグルレビューで、よく「飯は美味いが言葉が通じなかった☆1(英語話者)」とか見かけますけどお前何しに来とるん?

まあいっか、よそはよそ。また行くことがあればイタリア語もう少し予習したい。

 

4.最後の晩餐、前もって予約すべし

ダヴィンチ大先生のアレです。見てよかった(小並感)。

トロいので予約競争がし烈なものと知らなかったのですが、Cenacolo Vincianoのウェブサイトで確認すると二か月前からチケット予約できるようです。

私たちはこの競争に乗り遅れ断念しかけたのですが、なんと毎月第一日曜日は無料観覧できるという重大事実を発見し、同じ週の水曜日に先着予約を頑張った。

水曜日の昼12時に予約がオープンする時、私たちはちょうど空港から市内に向かう電車の中でスタンバイしていた。11時58分、59分、、、12時!今!今今今!!という時、ちょうど電車がインターネット圏外に突入した!ワロタ!合わせてきやがった!やばいやばい!とかやってその後の記憶があんまりないんですが、無事チケット取れました。うれぴー。

当日はチケットをもって30分前には集合。同じ時間帯の人達と一緒に中に入り、15分絵を凝視します。15分。行く前は15分、長くね?と思ってたけど、近くでじっくり見たり椅子に座ってぼんやり眺めたりしていたら結構あっという間だった。現存なのは1970年代に修復されたバージョン。ネットで調べるとそれ以前の絵の画像も見られます。

せっかくだから見ておきたい、という人にはおすすめです。美術館の建物自体も綺麗。

ドゥオーモからミラノを見下ろす聖人たち

というわけで、冬のミラノこんな感じでした。

天気は半分晴れ、半分雨という感じでなんの参考にもならない経験をしましたが、雨が降っても、行きつくせないほどの数の美術館があるのでどうにかなる。晴れていたらもう最高。イギリスの薄暗い冬を乗り越えられるだけの日光を浴びようと頑張りました。寒さも日本の冬と同じくらいなので耐えられるし、日が出ている時は歩いているとあったかく感じるくらい。オフシーズンとはいえ観光客も多く活気があった。「帰りの空港でプラダ買いたいから~」とかいう日本語も耳に飛び込んできます。旅行地っぽくて楽しい。

 

私におすすめされなくても十分すぎるくらい有名なミラノですが、冬でも大丈夫だよ~という内容でした。Ciao!