みんなの好きな数字教えて

夏です。

さすがのロンドンにも太陽が戻ってきた。すでに26度を記録して、熱波が来ない限りはこれがほぼ最高気温だろう。
すると人間が急に外で活動し始めるのが虫のようでおもしろい。しかもイギリス人はすぐ半裸になる。田舎だけだと思ってたけどロンドンでもこの現象が起こっている。昔長野のスキー場で西洋人らしきスノーボーダーが上裸でゲレンデをウロウロしていたことに衝撃を受けたが、ロンドンに引っ越してからは太陽を浴びたい気持ちが少しわかるようになった。他の人と違って私は肌を焼きたくはないけどビタミンは欲しい。長い冬を越すために必要なのだ。

 

4年前、ノリッチという田舎にいた頃はコロナパンデミック中でやることが皆無。そんな時に公園で昼寝することがどんなに気持ち良いか知ってしまった。あいにくロンドンは公園にも人が多いし、深呼吸したら排気ガスで肺が真っ黒になるであろう。

でも日も伸びて、人々もどこかウキウキしているこの季節が好き。

ペリカン探しに来たのにいなかった日

 

ところで、先日受けたIELTSのスピーキングテストでこんな質問があった。

「好きな数字は?」

背番号とか持ったことのない私は、

「…4、ですかね…。4人家族なので…。」

 

え、意味不明だよね。みんなは好きな数字ある?!助けて。答えながら死んでしまいたかった。別にどんな回答でもいいのはわかっていても、自分が言ってることの無茶苦茶さを自覚しながら話すの本当につらい。でもIELTSは自分との闘い。

「好きなネイチャー番組は?」も過去に聞かれた。存在しないクジラのドキュメンタリーを頭の中で生み出した記憶あり。ダーウィンが来たをもっとまじめに観ておけばよかったです。

要するに対策のしようがあまりない?変なことを聞かれる度胸だけ持っていればいい?

 

その他のリスニング、ライティング、リーディングは初めてコンピューターで受験した。人の話を聞いていなさすぎて、みんなを待たないといけないところで次に進んで怒られたりした。悲しい。難しい。ごめんなさい。ライティングはUKキーボードにあまり慣れていないせいでShiftキーを押し間違えて怪文書を生み出した。

 

人生で受けるのも最後かもしれない。おつかれ。

太陽を浴びながら帰ろうとしたら雨が降っていた。裏切らない街ロンドン。

弾丸熱波バルカン

学生のような弾丸旅をしました。

正直、一緒に行った人々は私よりも若い。しかし、夜行バス…?聞き間違い…?

 

友だちがバルカン半島どこでもいいから行きたいと言い出し、一から一緒に計画を練った。ロンドン発着の飛行機がある都市とない都市。例えばアルバニアに結構行きたかったけど良い感じの時間帯と値段の飛行機がなくて断念。

なんだかんだで全4日間の旅程はこんな感じに…

プーラ(クロアチア)→夜行バス10時間弱→ベオグラードセルビア)→宿泊→バス7時間→サラエボボスニア・ヘルツェゴヴィナ

 

や、夜行バス??(2回目)

生きて帰ってこれたのでもうこれ以上文句は言いません。でも今後、大人になった身としてはこれで最後でいいかな…。

 

1日目:プーラ

正直聞いたことない。クロアチアがめっちゃ良いところというのは何となく知っていて、でもみんなザグレブとか南のほうの海辺に行くのかな。私たちは完全に飛行機とバスの接続の都合+海辺には行きたいかも…ということでこの北部のプーラという街にやって来た。

第一印象、イタリア。いや、イタリアあんまり行ったことないんだけど、これはローマだな。

と思うのもあたり前で、古代ローマ時代に造られた円形闘技場が一番の見どころ。そういえばプーラはイタリアの対岸(イストリア半島)に位置するんだよな。あのローマのコロッセオみたいなのがある。入場料ケチって中には入らなかったけど、西暦27~68年くらいの間に建設されたよう。初代アウグストゥスから9代目ウェスパシアヌス帝の間だって。この9代目よく知らなかったけど、死ぬ間際のセリフ「残念なことに余は神になりつつある」だったらしい、強すぎ。私も言いたい。

街並みはカラフルで可愛い。空が青くて暖かい国はこういう景色になるんだね…と、曇天のイギリス在住の我々は感動していた。

料理は海鮮、あと手でちねったようなパスタ(言い方)などなど。あとは果実酒も豊富で、イストリアの酒はほかの地域とは違うんだぜ!と、お土産店の人は誇らしげだった。(実際この後に行った国でも飲んだ気がするが、この地方(広義)の名産ということはわかった。)

 

さて、早朝フライトと同日に運命の夜行バス。メイク落として歯磨きして、バスに乗り込んだ。もちろん日本の長距離バスのようにカーテンも充電コンセントもリクライニングもない。行くぜ10時間。待ってろベオグラード

残念ながら神になってしまったウェスパシアヌス

 

2日目:ベオグラード

夜行バスではなんとなーーーく寝た。休憩のたびに明かりがつくので熟睡ではなかったけど。セルビアとの国境はでパスポートコントロールがあり、真夜中にバスから降ろされて寒かった。

前のバスが出国にてこずって職員が車内に乗り込んだりしていたのでちょっと不安だったけど、お~日本人、と言われただけで済んだ。

日の出とともにベオグラード入り。いきなり国旗がそこら中に掲げられている。

セルビアの朝は早いのか、まだ6時くらいなのにカフェは開いているし、出勤する人々で道は結構混んでいた。

朝ごはんを食べてもまだ7時半。目当ての博物館の開館時間までカフェで暇をつぶすことになったが、全員半寝や体調不良で、カフェで目を閉じて瞑想するアジア女子3人が爆誕してしまった。なんとか力を絞り出して、正教会の建物を見たり、中でお祈りする人の様子を伺ったりしながら、なんとかMuseum of Yugoslaviaに到着した。

この博物館は南ユーゴを統治していたチトーの内容が多くて、ナチス支配と独立からソ連の干渉の歴史を経て現在、という構造。各国からチトーに送られた贈呈品とかも置いてあった。チトーは第二次世界大戦中に枢軸国の支配下にあったユーゴスラビア王国で抵抗運動を展開して、戦後にユーゴスラビア社会主義連邦共和国の初代首相になった人。チトーの死後、彼ほどにカリスマ性のある指導者が現れず、民族間の対立が深まって戦争に発展。現在地図上で確認できる国々が独立したというわけだそうです。第一次世界大戦前からずっとヨーロッパの火薬庫だったのかなという気がした。

こじんまりした空間だけど、無料ロッカーに荷物を預けたりできる配慮あり。

外に出ると26℃くらいだった。話に聞いてはいたが暑い。まだまだ寒い国から来たので今のうちに光合成っと。

瀕死で宿に向かい、昼寝、からの現地在住の友だちとディナーができて盛りだくさんだった。ご飯は牛のスペアリブとご当地サラダ。なんかカッテージチーズみたいなのがかかったキュウリ、トマト、パプリカのシンプルなサラダ。疲れていたので染みた。

宿があるっていいね…と言いながら、翌日の早朝バスに向けて就寝。

ヨシップ・ブロズ・チトー元帥
3日目:サラエボ

5時半起床。おはようございます。眠いね、当たり前だが。

半分暗闇でメイクをしてバス乗り場へ。今日も朝焼けがきれい。

乗り場につくとホームへの入場料を払わされた。バスはマイクロバスみたいなやつで出発。運転手のお兄さん、ずっとわき見運転しててすごかった。ずっとスマホいじるか、斜め後ろにいる同僚?の顔を見て話していた。こういう時はアイコンタクトしなくてもいいんよ。そして後ろの人も運転手にそんなずっと話すことある?

まあ死ななかったのでいいか。

パスポートコントロールを経て国境を超えると、めちゃくちゃきれいな大自然が広がったいた。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、お前、こんな所なんだな…。一日目からバルカンは緑が生い茂っている印象だったけど、ここは山と川が広がる温泉地みたいな場所だった。(なんでも日本と比べて考えるのやめたい…。)

休憩所で目撃してしまった汚トイレに衝撃を受けたが、そのあとは爆睡していたので覚えていない。目が覚めると終点。市内に着くと思っていたのに、中心部から車で30分くらいかかる場所に降ろされてしまった!罠!罠!(※罠じゃないです)

しかもスマホのネットワークが繋がらず、とりあえずタクシーの運転手に話しかけに行った。どれくらい英語が通じるかわからなかったけど、歴史ミュージアムに行きたいと伝えると、OK、10ユーロね、という感じで乗せてくれた。(現地通貨もあるけどユーロとの固定レートなのでタクシーではユーロ使えた。)

一安心、と思って乗っていたら、どんどん市内の反対に進んでいる。ええ…こういうこと実際にあるんだな…と不安に思っていると、トンネルミュージアムというところに到着していた。なんじゃそりゃ、と思ったけど、戦争中に使われてた空港まで続くトンネルの博物館らしくちょっと面白そうだ。

…じゃなくて、我々は市内に行きたいんだ、ともう一度言ってみると、あ~~~!ごめんね!オーマイガー言うて軌道修正してくれた。悪い人じゃなくてよかった。

運転中、「中国人?」と聞かれたので、ジャパニーズよ、と答えるとなんと通じなかった。3回くらい言っても通じないので今回の旅行中に誰かが私に言ってきた「ヤーパン」(ドイツ語風?)と恥ずかしがりながら口に出すと通じた。あ~~ヤーパンね、スズキ、トヨタ俺らも乗るで。そういえば中国と北朝鮮とは友だち?韓国は?広島・長崎って今は普通に生活できてる?…等々、いきなり外交問題を投げかけられてヘラヘラしてしまった。

無事目的地に到着して、ご飯食べてここでもユーゴスラビア歴史博物館に行き、街歩き。他の2都市とも全然違う雰囲気で、ムスリム人口も多いからかモスクもあるし、あと家は瓦屋根が日本っぽいと言ったら怒られるかもしれないけどこれが東欧の感じなのかなとか、いろいろ思いました。

人も優しくて、晩御飯を食べたレストランでは隣で80歳のお誕生日会が開催されており、半ば強制参加、写真撮影、歌をうたう、ショットをご馳走になる等、最終日に相応しい楽しい夜だった。

サラエボ事件オーストリア皇太子夫妻が暗殺された橋

 

次の日の朝に空港に向かい帰国しました。

総じて人が優しかったのと、大抵の場所でクレジットカードが使えたのと、物価がなんと言っても安くて、いつもバーガーとドリンク1杯に5000円くらい払ってるの虚しくなった。移住しようかな。生活水準というか満足度が違いすぎるよう。

行くまで地図も地名も覚えられなかったけど、今回の旅を通してちょっとわかった気分になれた。マイナーやらかしさえもないスムーズな旅でした。事前にGoogleドキュメントとかで打ち合わせをするガリ勉スタイルだったのでそれが実を結んだのかなと思って自己肯定感を高めておいて今日は終わりにします。

おすすめ旅行地があれば教えてください。

冬のミラノ大作戦

憧れのイタリア、行って参りました。

周りからもイタリアは行かなきゃとか、母親からはママも27歳の時に行ったな~とか、プレッシャーもありつつ、美味しいものは大陸で(英国在住)の精神で死んでも行くぞと思っていたイタリア。初回はミラノに上陸しました。

理由は簡単、グーグルフライトで地図を眺めた時に最安値だったから。年始ということもあり、真冬のイタリア(特に北部)はオフシーズン。今回、冬でもイタリアを満喫できるのか心配しながら向かったわけでした。冬のミラノの様子や注意点をまとめた日本語のブログが少ないような気がしたので、今後のどこかの誰かのために書いてみようと思う。

 

1.大きな街だから機能はしているがエピファニーがあるよ

ヨーロッパのクリスマスは家族や友だちとお家で過ごす期間なので、お店や公共交通機関はほぼすべて停止します。(とはいえ、ミラノはクリスマスマーケットが有名のよう。)ただ、そこで休暇ムードは終わり、年始は大体2日から街が通常運転に戻る。私たちは1月3~7日に旅行したので、お店は普通に開いていて、仕事に向かう人の姿もちらほら。

ただ注意したいのは、ミラノではこの期間も静かにクリスマスが続いているということ…。

というのも、「エピファニー(公現祭)」という祝日がミラノでは一大行事。新約聖書の中で、キリスト誕生から12日後の1月6日に、東方三博士と呼ばれる3人の賢者がお祝いにやって来たということらしいです。ミラノでは、この賢者たちがミラノの地に眠っているとされているため、MATSURIというわけだ。(この人たちに関する美術館も多くて面白かった!)

私たちは行きたいレストランを何個か目星をつけていたのだけど、年末からこのエピファニーが終わるまでお休みします、という場所も多くて断念する場面があった。

そこで皆さんにお伝えしたいのは、「グーグルを信じるな」です。レストラン探しでグーグルマップを活用する私ですが、どうやらお店のイレギュラー休業は把握できていないらしく、「23時まで営業中!」とか平気で記載されている。

そこで我々が編み出した作戦は、

・直近のレビューがあるか確認する

・店の予約システムが使えるか確認する

・それでもわからなければ直接見に行く(作戦なのか…?)

でした。

最後の点は、例えば夜に行きたいお店があれば、昼間の観光中に様子を見に行ってみるとかそういうあれです。原始的。

ただ、イタリアの慣習であるアペリティーボ(食前酒)ができる店は大抵開いている様子でした。このアペリティーボ、お酒を一杯頼むとめちゃ美味なハムとオリーブとパンが出てくるという素敵システム。10ユーロくらい。もう永住したい。全世界でアペリティーボ導入してほしいくらい。ここでカクテルやワインを嗜んだ後、本番のディナーレストランに向かうというなんとも余裕のある夜の過ごし方。見習いたいです。

 

2.公共交通機関は充実、でも大概歩ける

公共交通機関貧弱国イギリスで普段暮らしていると、ミラノは何倍もシステムが整っていると感じた。というか日本と同じくらい時間どおりで便利だった。

鉄道、地下鉄、トラム、バス等々ありますが、昨年くらいからコンタクトレス決済が導入されているので、最悪スマホ一つあれば乗れます。鉄道、地下鉄は改札で、トラム、バスは車内の機会にピッとすれば完了。(ちなみに、ミラノはあらゆるお店がカード払いに対応しないといけないという法律があるらしく、現金ゼロで過ごせました。最高。)

ただ、観光客的には街並みを見ながらガツガツ歩きたい人もいると思うのですが、街中は余裕で歩けます。ガイドブックとかの散歩ルートを真似するのも楽しい。歴史ウォーク、建築ウォークなどテーマを決めて美術館に寄りながら、美味しいもの食べながら。

雨がひどい時にトラムに乗ってみるとか、そういう使い分けがいいかもしれない。もっと公共交通機関を使いたい人は、パスを買うのもおすすめです。

 

3.英語は通じるけどイタリア語少しできるといいだろうなぁ

大都会なのでお店の人達も私のような迷える観光客の扱いに慣れています。ありがたいね、、。英語使ってくれてありがとう、、。私は勉強不足でぼんじょるの、ぐらっちぇ、ちゃお、ぺるふぇぼーれ、くらいしか話せず不甲斐なかった。でも街の人たち優しく対応してくれて泣きそうになりました。ぷれーご(どうぞ)!って言ってご飯を出してくれる。好き。レストランのグーグルレビューで、よく「飯は美味いが言葉が通じなかった☆1(英語話者)」とか見かけますけどお前何しに来とるん?

まあいっか、よそはよそ。また行くことがあればイタリア語もう少し予習したい。

 

4.最後の晩餐、前もって予約すべし

ダヴィンチ大先生のアレです。見てよかった(小並感)。

トロいので予約競争がし烈なものと知らなかったのですが、Cenacolo Vincianoのウェブサイトで確認すると二か月前からチケット予約できるようです。

私たちはこの競争に乗り遅れ断念しかけたのですが、なんと毎月第一日曜日は無料観覧できるという重大事実を発見し、同じ週の水曜日に先着予約を頑張った。

水曜日の昼12時に予約がオープンする時、私たちはちょうど空港から市内に向かう電車の中でスタンバイしていた。11時58分、59分、、、12時!今!今今今!!という時、ちょうど電車がインターネット圏外に突入した!ワロタ!合わせてきやがった!やばいやばい!とかやってその後の記憶があんまりないんですが、無事チケット取れました。うれぴー。

当日はチケットをもって30分前には集合。同じ時間帯の人達と一緒に中に入り、15分絵を凝視します。15分。行く前は15分、長くね?と思ってたけど、近くでじっくり見たり椅子に座ってぼんやり眺めたりしていたら結構あっという間だった。現存なのは1970年代に修復されたバージョン。ネットで調べるとそれ以前の絵の画像も見られます。

せっかくだから見ておきたい、という人にはおすすめです。美術館の建物自体も綺麗。

ドゥオーモからミラノを見下ろす聖人たち

というわけで、冬のミラノこんな感じでした。

天気は半分晴れ、半分雨という感じでなんの参考にもならない経験をしましたが、雨が降っても、行きつくせないほどの数の美術館があるのでどうにかなる。晴れていたらもう最高。イギリスの薄暗い冬を乗り越えられるだけの日光を浴びようと頑張りました。寒さも日本の冬と同じくらいなので耐えられるし、日が出ている時は歩いているとあったかく感じるくらい。オフシーズンとはいえ観光客も多く活気があった。「帰りの空港でプラダ買いたいから~」とかいう日本語も耳に飛び込んできます。旅行地っぽくて楽しい。

 

私におすすめされなくても十分すぎるくらい有名なミラノですが、冬でも大丈夫だよ~という内容でした。Ciao!

 

ロンドンおすすめ小規模ギャラリー

ロンドン移住後、スマホを眺める以外に最も時間を費やしているのが美術館・ギャラリー巡りだと思う。

本当に見どころがたくさんあるのだけど、「ガイドブックには載っているかもしれないが王道ではない(であろう)」スポットを勝手に発表します。

 

ちなみに、今は学生に戻っているのですが、学生価格(年間10ポンド、大人56.25ポンド)でArt Fundというチャリティーの会員になったので足しげく美術館に通っているのです。ロンドンのほとんどの美術館・博物館は入場無料ですが、特別展示やショップで割引を受けられるので長期滞在する際にはおすすめ。(Art Fundの会員割引はイギリス全土で使える。)

 

※以下は、ドデカ美術館では疲れて眠くなってしまう筆者の独断で選ばれたこじんまりギャラリーなのでご了承ください。おすすめ3つ!

 

ギルドホールと聞くと世界史選択勢はテンション上がるのではないでしょうか。その名のとおり、中世以降、行政と市民生活の中心としてシティ・オブ・ロンドンに管理されてきた土地。現在も市庁舎として使われていて、その一部であるギャラリー自体は1886年に市のコレクションを公開するために建てられたそう。第二次世界大戦下でたくさんの絵画や彫刻が焼かれてしまったみたいで戦争はクソだなということに尽きるのですが、それでも17世紀以降の素敵な作品を見ることができます。それから、なんと地下からはローマ時代の円形劇場の一部が出土したようで、そこだけイタリアだった。

ショップはとても小さいけど素敵なポストカードが売られています。レジのおばちゃんのベテラン感がよかった。

絵画や彫刻は想像(妄想?)が広がる優雅な絵が多くて、何よりその小さな規模感が、目から入ってくる情報を消化するにはちょうど良い。都会の喧騒から抜け出して一息つくにはぴったりな場所。近くにはセントポール大聖堂があったり、ビジネス街ならではの静けさがあって、好き(語彙力)。平日の昼間にふらっと寄ってリフレッシュ。そんな感じじゃないでしょうか。

Guildhall Art Gallery - City of London

 

2.Sir John Soane's Museum

新古典主義の建築家だったジョン・ソーン大先生(1753-1837)の邸宅兼スタジオ。本当に本当に本当に楽しい。本当に。物。物。物。小さな建物に物が詰め込まれています。でもその詰め込み方が天才?美術館の倉庫みたいなイメージで(見たことはないが…)、ずっとそこにいたくなるし何回も来ないとすべてを見るのは不可能だと思う。

収集癖のあるマジのオタクだったことがこれでもかというくらいわかる。ヨーロッパ旅行で絵画に飽きてしまったら、ここに来て3Dアートに触れるのもいとあはれではないでしょうか。あと、窓の色とその反射の色までが計算されている建物で、黄色や紫色のガラスから差す光がきれいでした。ということは晴れの日がおすすめかも。

それなりに人気スポットらしく、タイミングによっては外に並ぶこともある。中は狭いので荷物は入口で預ける。入場は無料だけど、入口でおすすめされたパンフレット、勧め方が自然すぎて自然に購入してしまいました。物や部屋に説明書きがないから一つあれば勉強にはなる。大英博物館や繁華街も比較的近い便利な場所。

Homepage | Sir John Soane's Museum

 

印象派好きのみなさん、ここ行っちゃってください。印象派好きじゃないみなさんも、教科書に載ってた絵が見られるので行っちゃってください。コートールド美術館はウェストミンスター地区にあるロンドン大学付属美術研究所。たしか美術コースが提供されている施設で、同じ区画にはキングスカレッジ・ロンドンが所在している。こんなところで学生できるの最高だろうな…。

小さな建物の一番上の階に印象派後期印象派が詰め込まれていて、ルノワールドガゴッホ、マネ、モネ、セザンヌゴーギャン…と怒涛です。ずっと最高だった(IQ3)。その下の階はルネサンス~18世紀。その下は中世絵画。シンプルでわかりやすい構成も、すぐ迷子になる私にはうってつけでした。印象派以外で興奮したのはルネサンスの階で、水差しや食器のデザインがとても素敵で家に持って帰りたかった。

ショップもイチ押し。地下に可愛い空間が広がっていました。私が訪れた時期はクリスマスグッズもたくさん売っていて全部欲しかった。手取り5倍くれ。エントランスを出て向かいにはミュージアムカフェがあるので一息つけちゃうね。最高だね。コヴェントガーデンの近くなので、こちらも立地良い。というかロンドンは全部歩けてしまうのでそういう意味では交通費を浮かせることも可能。

https://courtauld.ac.uk/

 

このほかにもいろいろたくさんアートな場所があるけど、渡英4か月という短い期間で開拓したうち印象に残った場所紹介でした。友だちに遊びに来てほしい一心だけですが、この勝手におすすめシリーズまたやりたい。

 

Fast & Furious

車社会に来てしまった。

(ロンドン以外の)イギリスのことですけど、その心は、居住区と繁華街が明確に分かれてることにある。日本のように隠れ家カフェ♡居酒屋♡的なものがほぼ存在しない。よって、ちょっと買い物に行こうとか、面倒だから外食しようとか、そうなると車で行くか、30分歩くかの選択になる。

私は(奈良の)シティガールなので「歩く」ということに慣れていない。ハイキングとかは好きだよ。でもポテチ買いに行くのに長距離歩くのは違うんだよなぁ。

 

では運転すれば良いではないか。ソクラテスの声が聞こえてきそう。

 

…そう、これが問題。私はペーパーゴールド免許ドライバーなのです。そのとおり、身分証のためだけにお金を払い続けているのです。

大学2年生の終わりごろに免許合宿に参加し、テストの類は得意なのでストレート卒業した。免許取得後も最初は張り切って運転の練習をしたりしていた。北海道や東北の広々とした田舎道の運転も楽しかった。

しかしある時、夕暮れ後、どこかの高速道路を運転しなければならなかった。サービスエリアを出て高速に合流する。7人乗りくらいの大きめの車。あれ、ハンドルが重いし、外も暗くてよく見えなくない?フロントミラーも何も見えないが…?え、なんか合流車線が工事中なんだけど?!え、右側はビュンビュン車が走ってるんだけど?!え、え、目の前に工事のおじさんがいるんだけど?!?!

という感じでパニック状態になりながらも五感だけでワイスピ並みの無茶をして乗り切った。TOKYO DRIFTだった。人をひき殺しかけました。怖かった。同乗していた人々も本当にごめんなさい。

ワイスピ Tokyo Drift (2006) みんな観て

私って、危険運転者じゃん?

と思い込みすぎて、これ以来運転の練習もしたくなくなったし、死ぬリスクを減らすためにも車に乗らないほうがいいな、エコだし(?)、のメンタリティに到達したのだった。

このメンタリティは日本では通用した。駅チカに住んでいたし、社会人になってからも東京で何不自由なく過ごした。イギリスに行ってもロンドンに住むから国際免許はいらないや。

 

この国際免許、持っておいてもよかったなと今更ちょっと後悔している。理由は上述のとおり。あと、イギリスはなんか運転しやすそう(素人目線)。ラウンドアバウトも走行してみたい。

ただ、イギリスはマニュアル車が一般的だ。私はオートマの免許しか持っていなくて、ガリガリクラッチを操作する運転手の姿を見るとちょっと憧れる。でも後部座席に座ってる身からすると酔う。たとえば今お世話になっているステイ先のお父さんはめっちゃイラチだ。父親ってみんなあんなもの?私の父も煽り運転と思われても仕方ないくらい車間距離を詰めたりするのだけど、こちらのお父さんも渋滞にはまってはご機嫌斜めになるし、カーブや下り坂では減速とかいう概念を知らないっぽい。おかげでこれがチンさむロードか~と思うことが増えた。私はチンさむにはならないですけどね。

とにかく、彼の運転も変速の緩急がすごすぎて、私は小学生ぶりに気分悪くなったりなんなりしている。だから余計に自分で運転できたらなとも思う。イギリスでは結構なお年寄りも運転しているし、飲酒運転もラガー2パイントまでなら飲んでも違反の基準値を超えない*1らしいし、いろいろと緩い印象。(ちなみに私の母はイギリスで免許を取得したせいかなかなか豪快な運転で、日本では切符切られて逆切れしていることもある。)

運転ができればこんなところも自分で行けるのに…

どうせ車を買うお金もないけど、このままペーパーを極めるのか、運転する日が来るのか、見守っていてください。誰も興味ないと思うけど、頼んだよ。

ピザニキ

イギリスにはいろいろな暗黙のルールがあるような気がする。

 

例えば、レストランで注文をしたい時、会計をしたい時、手を上げて大声で店員さんを呼んだりしない。アジア出身者としては今のところこれが日々の中で一番文化の違いを感じる場面だ。

 

つべこべ言わず辛抱強く待つことが美徳、みたいな雰囲気がある。トイレのどこかが壊れてたり、店員さんに全然気づいてもらえなかったり、そういうことにあまり文句を言わないからこそ、トイレの鍵は壊れかけで便座と便器がめちゃくちゃずれていて水が流れなくても、そのままなんだろう。

 

トイレで思い出したけど、グラスゴーのバスターミナルでトイレに行こうとしたら、入場に30ペンスかかった。初めは気づかずにゲートを強行突破しそうになり、それを見ていた警備員のおじさんにヘラッと苦笑いを見せて退散した。友だちにお小遣いをもらい出直す。両替をしていると警備員のおじさんがめちゃくちゃ見てくるので、声掛けとくか、と思って「30pやんな?」と聞いてみた。「せやで、あんたベトナム人?」と、切り返された。トイレをしたいだけなのに出身地の話からしなくてはいけなくなった。私「日本人だよ」おじ「日本ってことは通貨はJapanese dollarか?」私「ジャパニーズ円どす」おじ「&¥^%$#!*」。おじ、突然何を言っているかわならなくなった。そう、スコットランドあるある、みんな気さくで話しかけてくれるのだけど、アクセントが強くて理解できず愛想笑いでごまかす、が多発する。本当にみんな良い人々で、ロンドンの喧騒で萎びた私の心には沁みる。ただ何言ってるかわからない。そういう異国体験ができる良い地域です!(突然)

とにかく、おじへの返答に困りニヤついていたら、おじは友だちを見つけてどこかへ行ってしまった。適当で好き。無事トイレできました。流れなかったけど。

 

もう一つトイレ話をすると、手を乾かす機械(乾燥機?)の威力が尋常ではない。ダ◯ソン製とかが多いのだが、手の皮がビロビロって揺れるくらい風圧が強い。頼む、水洗の圧もこれくらいであれ。

つぶらな瞳のネッシー

トイレじゃなくて暗黙のルールの話をしたいんだった。

他に思いつくのは、自己紹介をあまりしないこと。共通の知り合いにお互いを紹介をしてもらわない限り、名前さえも知らないまま人と別れることがたまにある。出身や名前とか、属性を初手に把握したい文化圏から来たので、これもやりづらいなと思ったことがある。

Awkwardな出会いと別れはよくあるのだが、この前スーパーで声をかけてきたナンパ(?)もすごく謎でお互いに気まずい感じになった。どのピザが良いかな?と出来合い惣菜コーナーで声をかけられ、知らんけどキノコにすれば?と適当に返したら、オッケー!じゃあ一緒に食べよう!と言われてズッコケた。それは流石にいらんわ、と丁重に(なつもりで)お断りをしたら、じゃあ電話番号教えて!WhatsAppしよ!と押しが強かった。拒否しても、今日は祭りやし!(スコットランドでは祭り月間なのは本当。来週末はジャルジャルも来ます。)と、ピザニキはなかなか引かなかった。祭りでもお前とピザは食わんよ。最後は日本語に切り替えたらどこかへ消えて行った。なんか、まともにグリーティングできる人はいねえのか?異邦人はいちいちこういうことで泣きそうになる(泣いた)。

Edinburgh Festival Fringe

そんなこんな、知らぬ間にルールを破ってしまうことを恐れながらも生きています。人生の夏休みもう少し続きます。

 

さむい

イギリスに降り立った。寒いです。

 

思い返せば出発当日、私は品川で干からびそうになっていた。バカデカスーツケースを3個抱え、髪の毛が全部濡れるくらい汗をかき、空港特急の中で母親に背中の汗を拭いてもらった(赤子なので)。

 

予定していた直行便が欠航になり(前回渡英時も同じようなことが起こったので特に驚かなかった)、香港で70分しか乗り継ぎ時間がないという鬼スケジュールが確定していた。ちなみに、直行便だと日本からイギリスまで14時間30分*1かかる。しかし、今回のフライトは香港まで4時間30分、香港からイギリスまで14時間30分だ。お分かりだろうか。某航空会社の無断キャンセルにより、私は人生の4時間30分を特に意味もなく空で過ごすことになったのだ。

さて、日〇航空の素晴らしい対応によりなんだかんだ乗り継ぎは成功し、こうして27歳の赤子はリアル赤子たちに囲まれ賑やかなフライトで無事ロンドンまでたどり着いた。迎えに来てくれた運転手に「ロンドンは寒いっしょ?東京は38℃やで(ドヤ)」とマウントをとったら、「いや、今日はロンドンも全然寒くないけど?」と喧嘩を買われた。赤子と言っても大人なので、私はそれ以上言い返さずおとなしく彼の後に続いた。

 

到着ロビーから外に出た。…バカ寒い。おい、嘘つくなよ。18時間前まで激アセをかいていたのと同じ星にいるなんて信じられない。なのに周りを見渡すとみんな半袖なの、まじで何故。ようこそ季節感ゼロの王国へ!手荷物にノースリーブばかり詰め込んできた私だって、その気になればそういう格好をしちゃってもいいのだ!自分の身体から熱を生成できるよう、筋トレに励むと心に決めた。

 

あと、夏のヨーロッパは死ぬほど日が長い。夜22時前まで明るいこともしばしば。感覚が狂い、日が暮れる21時くらいに時計を見て焦って晩御飯を食べることが増えた。お気づきのとおり冬には逆の現象が起きるので、今のうちに太陽をたくさん浴びるほかないのだ。ビタミンD摂取のため、公園でぼんやり過ごす夏になりそう。夏と呼んでいいのかわからないほどうすら寒いけど。

晴れの日も、ある

今はロンドンからイングランド北部のとある地方に移動してきている。(水の質が違う!)

とにかく、日光が足りてるうちにイギリス生活のことをちょっとずつ書いていければいいなと思っています。アディオス。

*1:ロシア上空を通ることができれば12時間くらい